教育に従事するというのは、人生をつむぐ「針」と縫い上げる「糸」のようなものだ。
  先生は針。子供たちの前では硬さを持った針でなくてはならない。強い意志で、しっかりと子供たちをサポートするのだ。
 先生は、とがっていなければならない。水先案内人として子供たちの前の困難を切り開いていかなければならない。
 先生は、まっすぐでなければならない。生き様そのものが先生でなければならない。曲がった者にいかに子供たちを正しく導くことがことができようか。
 そして先生は、輝いていなければならない。子供たちをひきつけリードしていくためには、子供たちを魅了するほどの輝きを持っていなければならない。
 しかし、糸が布を縫い上げた後、針はもうその仕事を終え、必要の無いものとなる。先生なんて、それでいいのだ。いつまでも針が前を歩いていては、子供たちは自ら進む方向を自由に進むことはできなくなってしまう。
 どんなふうに針が子供たちを導いたかは、針が通った後の糸が証明してくれる。右に左に曲がってしまおうとした糸を、その針はまっすぐに導くことができたか。糸の通った跡は、一人一人違うのだけれど、先生の情熱は縫い終わった後の糸が通った跡を見ればわかる。子供たちが証明してくれるのだ。
 卒業生たちが縫い上げる人生という布に私は先生としてどんな糸で、どんな軌跡を残したのだろうか。私という針は硬かったか、とがっていたか、まっすぐだったか、輝いていたか・・・。いつも自らを省みながら歩んでいきたい。